猫と音楽

我が家のアメショーと黒猫、二匹との生活や音楽についてのブログです

モヤモヤする保護猫引き取りの条件

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前回、保護猫を譲渡してもらうにあたっての条件について「うん、まあそうだろなあ」と僕個人が感じたものについて書いてみました。

 

今回は、その逆です。逆って言うと語弊がありますね。

前回の記事が『納得出来たもの』なので、逆だと『納得できなかったもの』になっちゃうのですが、違います。

ニュアンスとしては『気持ちはわかるけどモヤモヤするもの』が一番近いかも知れません。

 

 

念のために再度申し上げます。

僕自身は「たまたま妻が猫に詳しいおかげで、10年近く猫と暮らせている素人」です。これから猫を飼おうと思われている方々よりは、少し詳しかったりするのかも知れませんが、経験以外の差はありません。

ですので、こちらに書かせていただいた感想も、「自分のケースで考えてみた」ものです。つまり狭い世界の浅い経験でモノを言ってるのが僕ってことです。

なのでこの記事の内容を参考にされて、なんらかの被害があったとしても僕としては責任が持てません。

 

まずは保護した人たちへの理解

色々書かせていただく前に、保護していただいた方々への共感も述べさせていただきます。言ってしまえば、『引き渡す側』「引き渡される側』のギャップが全てだとは思うのですが、保護した側がどんな気持ちなのかの一例です。

 

これは妻とその周囲限定かも知れませんが、保護猫と飼い主候補の方を引き合わせることを、彼女たちは『お見合い』と表現しています。

「今日夕方からお見合いが1件あるから」そんな使い方です。

 

『お見合い』ですよ。

もう一回言いますけど『お見合い』なんです。

つまり天塩にかけて育てた猫、愛情をたっぷり注いで育てた我が子なんです。その子を「可能な限り条件の良い嫁ぎ先に送り出してやりたい」って思うのは親心としては当然です。

 

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彼もまた保護された猫です。お見合いせずに家族になりました。

 

産まれたての子猫を保護した妻は、3時間おきにタイマーをセットして、夢遊病患者のようにフラフラしながらミルクを与えていました。ドブの中から拾ってきたんじゃないかというくらい、薄汚い猫を抱えて風呂場にこもり、ひっかかれて小傷だらけになりながらシャワーでピカピカにしていました。

 

そんな経験をして保護した猫を、誰かに引き渡すわけですから猫ボランティアの方からすると

「100%幸せに。1ミリもミスらない相手に渡したい」となるのも当然です。

 

ですので「この条件不要だ」とか「意味ないだろ」のような二元論ではモノを申しません。 そんな前提でお読みいただきたいと思います。

 

条件① 小さなお子さんがいる家庭は里親になれません

これは少し驚きました。はっきり書いてある団体さんもありましたが「幼児が猫にストレスを与えることもあるから」というのが理由みたいです。

 

我が家にアメショーがやって来たのは息子が産まれる半年ほど前でした。つまり、小さなお子さんどころか、生まれたてホヤホヤの乳児と共に生活をしてきたのがアメショーなのです。

 

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再掲しますが、アメショーと息子の初対面の様子です。

 

乳幼児の人間と共に生活してきたアメショーがストレスを感じなかったか? と訊かれれば「感じてたのかも知れないなあ」としか答えようがありません。でも経験から申し上げると「猫はそんなにヤワじゃない」とも思ったりしました。

 

お子さんのタイプにもよるのでしょうが、息子は時々噛みつかれて出血する父(僕ですね)を見て、どちらかというと「猫は怖いもの」と認識している気がします。右も左もわからなかった頃は、アメショーの尻尾を掴んだりもしましたが、所詮乳児の力です。

アメショーは、悠々とその手を振りほどいて去っていきました。

 

また臆病の塊のような黒猫は、基本的に子供に近寄りません。

ベットの下。ソファの下。様々な隠れ場所を見つけそこに避難したりします。避難そのものがストレス、と言われればそれまでなのですが、今のところ元気に暮らしております。

 

→ 素人に毛が生えた僕の意見

猫の個体にもよるし、幼児そのものの性格や腕力にもよるのでしょうけれど、

・物心つく前の子供の行動範囲は限られている。

・しつけが出来るような年齢だったら「動物をいじめちゃだめ」と教えられる。

・猫そのものはそんなにヤワじゃない。

ことから、周囲が気をつける、などの前提を用意出来れば外しても良い条件のような気がします。

 

条件② 単身者(一人暮らしの方)は猫の里親になれません。

「うーん」と腕組みしたくなったのがこの条件です。

単身者が断られる理由が、おそらく「何かあったときに孤立した猫が困る」ことだと思うのですが、これですね、素直に申し上げて

 

「そこまでかなあ」

 

と思ったりしました。僕が甘いって言われればそれはそれなんですけど、前回の記事で猫を迎えることを「赤ちゃんが家に来たようなもの」と例えてみました。

ちょっと意地悪な比喩になりますけど、これって「シングルな人は子供持っちゃダメですよ」と同じように聞こえたりしませんかね。

 

近所に友人も、猫を飼ってくれる知人もいらっしゃらない方に、「猫を飼う資格なし」って決めてしまうのは、僕の感覚だとやりすぎかなあ、と思ったりもしました。万全を期す意味っていうのもわかるんですけどね…

 

息子が乳児だった頃、妻と子が帰省して2か月くらい単身で猫2匹と生活していたことがあります。

 

たっぷりと置き餌を用意して、トイレの砂をきれいにして出社し、帰宅すると上着も脱がずにまずは排泄物の処理をする、という文字通り下僕の生活をしました。

 

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下僕を見つめる冷ややかな眼差し

 

2匹の猫はまるで、下々の者が当然のことををしているといった風に僕を眺めていたり、或いは興味なさそうに眠りこけていました。

ついつい二次会三次会になってしまい、帰宅が明け方になった時も状況は同じでした。そりゃ「出張が入ってしまった」なんて事態になったりしたら、ペットホテルを使ったりシッターさんをお願いしたと思うのですが、1泊2日くらいならなんとか…と思うのは甘過ぎですかね。

 

子猫だったり、1匹だけで飼っている状況だとまた話は変わるのかも知れませんが、単身者にも門戸が開かれていてもいいんじゃないかなあ、というのが感想です。

 

→ 素人に毛が生えた僕の意見

もちろんご近所なりなんなりに猫の連帯保証人に該当する方がいれば良いとは思いますが、最悪出張などが入った場合は「ペットホテル」「ペットシッターさん」という選択肢もあります

『一人暮らし』が除外条件になってしまうのは、もったいない気がします。

 

条件③ 同棲しているカップルも里親にはなれません。

え? と思いました。結婚されている方ならOKで、同棲はNGのようです。

つまり「同棲の解消は簡単だけど、そうそう離婚はしないだろうから」とかそんなニュアンスですかね。

 

この区切りは乱暴だなあ、と思ったのも事実ですがより多くの里親さんを募集している団体さんだったりすると、どこかにスパっとラインを引かなきゃいけないのもわかります。ああ、でも…、それでもやっぱり…、この条件はちょっと設定が厳しすぎる気がします。

 

世の中の離婚の件数と、同棲解消の件数のどっちが多いかはわかりませんけど、例え既婚者だったとしてもですよ、潜在的我が家のように

「片方(多くの場合妻側)が、我慢に我慢を重ねてきっかけさえあれば婚姻関係解消となる」

ケースも当然ありそうです。しかも結構な割合で実在しそうです。 超個人的調べです。

 

これは時代が変わったというのもあるでしょう。

ひと昔前は「離婚は一族の恥」的なモノだった恐ろしい時代もあったと聞きます。

我慢してまで続けていくのが結婚生活の常識だったのが、「ああ、長い年月ムダにしなくてよかったね、早く次の出会いないかなあ」と考えられる世相になってきたように思います。

個人的にもこの風潮には賛成なのですが、「いつも我慢してくれてありがとう」と妻に感謝もしたい複雑な気持ちです。

 

話がそれました…

 

とにかくですね、「状況が変わって単身者になりやすい人はダメ」という条件ってそんなに必要でしょうか? 

 

→ 素人に毛が生えた僕の意見

もしこのラインを設定するにしても同棲という暗黙の了解と、結婚という紙切れの契約にそれほど差異はない気がするのです。

単身者についての条件と同様、もう少し緩和しても良いのでは? というのが感想です。

 

条件④ 時々家庭訪問で飼育状況チェックさせてくれないとダメです

今まで猫を飼われたことがない方だったりしたら、猫飼いのプロの方に一度見てもらって「ああ、このソファはまちがいなくボロボロにされますよ」とか「だめですよ、バカラのグラスなんて飾ったりしたら。叩き落とされますよ」みたいなアドバイスをもらうことについては賛成です。

 

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お分かりでしょうか? 椅子の皮は彼らのツメでボロボロです。

 

でもですね、この「時々家庭訪問して、チェックしますよ」については、これにどれだけの効果があるのか疑問だったりします。

 

子供の頃の記憶です。

家庭訪問の前日は、母親が何かに採り憑かれたかのように自宅を掃除しはじめました。大掃除のときにも触らなかったような場所の草むしりを始め、普段は家宝のように食器棚の奥にしまいこんである高級ティーカップで、先生を迎えました。

 

そうです。来客があるってわかっているのにわざわざマイナス要素をそのままにする人ってそうそういないんじゃないかと思うのです。

逆にこれがですね、「抜き打ちで自宅行きますけど、絶対チェックさせてね。ダメだったら、その猫とりあげるから」くらい突き抜けた条件ならわかります。

でもそうではなくて、事前に●日の〇時くらいにチェックに参りますって予告があったりするような家庭訪問だと「それにどれだけの効果があるんだろう」と思ったのです。

 

→ 素人に毛が生えた僕の意見

ボランティアさんの時間を使って、『わざわざやるほどのものなのかなあ』が本音です。費用対効果って考え方をすると、どうなんでしょう。

つけ加えるなら「ガサ入れでもないのに、なんで自分の家に入れなきゃいけないんだよ」と思われる方もいるかも知れません。

 猫の飼育状況以前に、人様に見られるとかなり恥ずかしいコレクションをお持ちの方もいたり… 注:私個人のケースではありません

 

条件⑤ 源泉徴収票か課税証明書見せてください。ホントに収入ありますか?

まあ、口座残高でも良いのかも知れませんが、「猫を飼うためのお金ちゃんと持ってる?」ってことの確認ですね。

口頭で「年収1億円です」と申告するだけだとダメみたいなんです。

 

まあ、これも気持ちはわかりますよ。前回の記事でも書かせていただきましたけど、「普通の暮らし+猫のコスト分も払えますか?」をチェックしたいのもわかります。

ただですね、個人情報の中でも超個人情報とも呼べる書類まで提出して確認する、ってことにすごく抵抗がある人も多いと思ったりしました。

 

人によっては「信頼されてないんだなあ」と思う方もいるかも知れませんし、一般的に『厳しい』と認識されている保護猫団体の方に

「おいおい、よくそんな年収で猫飼おうとおもったよな」

とか思われちゃうかな、と躊躇したりもしそうです。僕自身がささやかな生活を送っていることもありまして、『年収を証明するものを提示すること』へのハードルの高さはよくわかります。ああ、改めて気づきました。妻よ、苦労をかけてすまない。

 

→ 素人に毛が生えた僕の意見

実際の金額を提示して、猫と生活をすると「月に〇万円は多くかかりますよ、それだけのコストをかけられますか?」という聞き方ではだめでしょうか? やっぱり公的書類の確認まで必ず必要でしょうか?

もしくはですね、第三者的な公的機関で、具体的な数字じゃなくて「この人の収入、または預金残高は〇円よりも上である」のYES、NOだけの証明があればそれが一番良いのかなあ、と思ったりしました。

 

モヤモヤするものの正体

いかがでしょう。超個人的な感想として「モヤモヤする条件」について書かせていただきました。

このモヤモヤって何なんでしょう。自分なりに分析してみました。

 

  1.  条件について、バッサリとラインが引かれている。
  2.  100点を目指した条件が設定されている。
  3.  極々少数の問題外な方のことも考慮して条件が設定されている。

 

この3つの理由が、その『モヤモヤ』の正体なんじゃないかと思ったのです。

 

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彼らは自分の境遇をどう思っているのでしょう…

 

思いの他長くなってしまいましたので、こちらについては次回の記事で触れたいと思います。

 

立場の違いは当然ある

またまた好き勝手に書かせていただきましたが、

 

『万が一にも失敗のない相手に引き渡したい、慎重にならざるを得ない』という保護猫ボランティアさん。

『知らないこともあるけれど、大胆な決意で猫と幸せな暮らしをしたいと決心した』飼い主候補さん。

 

両者にギャップがあるのは当然かもしれません。この2者は

 

『里親募集で不特定多数の方を相手にする』保護猫ボランティアさん。

『唯一の出会いを求める』飼い主候補さん。

 

 

でもあります。立場の違い、考え方の違いもあって当然でしょう。

 

また保護猫ボランティアさんが対応する人たちの中には、極々少数の『問題外な方々』も含まれてしまうのも事実だと思います。

気分が悪くなるので、あえてここで詳細は書きませんが、そんな人たちを除外するように注意しながら、唯一無二の『命』を誰かに託さないといけないのは、相当しんどいことなんだろうなあ、と思います。

 

では、双方に正義があるときにどうすれば良いか?

それを解決する手段は『バランス』しかないのかなと僕は考えています。0か100かで片方を尊重するのではなく、「どこがお互いにとっての50なのか?」を考える必要があると思っています。

 

この『50』のラインは時代背景だったり、社会情勢だったり、新たな常識なんかで変化していくものかも知れません。今現在、もしもギャップがあるのだとすれば、新しい『50』を見つけてバランスをとらないと、きっとこの溝が埋まることはない気がします。

 

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まどろんでいるところは、本当に幸せそうに見えるんですが…

 

両者の願いは同じ「猫と人間の幸福」です。

『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである』なんて言葉もありました。同じ方向? あれ? なんで僕の結婚生活続いてるんだ?

同じところを目指しているのだから、ちょっとした工夫でうまくいくはずだ、と思ったりもしました。

 

そんな記事です。

 

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追伸です:

次の記事では「モヤモヤの正体の実例」、一番の主題だった「不幸な猫を無くすために何が出来るか?」について書きたいと思います。

 

また、当ブログは『自分の文章力の強化』に方針を変更しております。その為過去の短編記事に関してはリライトの為いったん非公開とさせていただく予定です。

駄文をお読みくださる皆さま、修行中の文章力を過大評価をしてくださる皆さま、コメント等いつもありがたく読ませていただいております。本当にありがとうございます。