猫たち、実は人間社会のことだったり、言葉だったり、充分理解してるんじゃないの? ってお話です。
普段ソファのキワみたいな場所で、微妙なバランスで眠りこけていて、お腹すいたらカリカリ食べて、排泄して、飼い主に噛みついてって暮らしている彼ら、本当は人間同士の会話も、何もかも分かっているのでは? と思う瞬間が年に2回くらいあります。
本当のところはどうなのか?
僕の大好きな「カッコーの巣の上で」という映画があります。
名作中の名作なんでご存じの方も多いとは思うんですが、あの映画の中に『チーフ』って名前の『本当は病んでいないのに、病気のふりをして精神病院に入院している』って設定の方がいます。
まあ、ラストは彼がドーンってやって(おおざっぱ)、なんとも言えない最高の終わり方をするんですけど、それを思い出したりするくらいなんです。
そうそう、猫の話です。
本当はキミたち(猫たち)。人間の言葉も何もかもわかってるんじゃないの??
実はわかっていたのでは? という事件
その実体験なんですけど、ある日妻の旧友の方が我が家に遊びに来てくれました。
彼女も結婚していて、その日はお子さんと一緒だったんですが、お子さんにはハンディキャップがありました。
僕自身そのあたりの知識がなくて、うまく説明出来なくて申し訳ないんですけど、その息子さんは、自分で立ちあがることは出来ません。床に寝そべるだけで、発話も「あああ」とか「ううう」とか言葉には、なかなか聞こえない音を発するだけです。
しばらく一緒に過ごしていると、その短い「あああ」や「ううう」に感情を読みとれるようにはなるのですが、初対面だったりすると、スムーズなコミュニケーションは難しいかも知れません。
とにかくですね、そんな状況でした。
妻の旧友の女性と、そのお子さんが遊びに来てくれた日のお話です。
お子さんの為に、僕たちはマットのようなものを敷いて準備をしておりました。そこに寝かせて、僕は彼とコミュニケーションを取ろうと、手をつないでみたり、話しかけてみたり、彼の声に耳を澄ましてみたりしていました。
妻と旧友の女性は、それはそれは楽しそうに…まるで僕なんかいないかのように昔話に花を咲かせていました。
そうするとですね、楽しそうな雰囲気だなあと思ったのか、ヤツがスタスタとやって来たわけですよ。そうです、アメショーです。
わかってこその行動か?
アメショーは、寝たきりの姿勢の彼の上を歩き出したのです。しっかりと体の上を踏みしめて歩いているのです。
「お、お、おい、なにしてんだ??」
と僕が反応するよりも早く、まるで毛布の上を歩くかのように彼(息子さん)の上を通りすぎました。
息子さんはキラキラした目でアメショーを追っています。
後でわかったのですが間近で猫を見たのは初めてのことだったようです。
で、アメショーです。
まるで「なんか俺、悪いことでもした?」と言わんばかりに通り過ぎた後、僕たちのほうに再び戻って来ました。
そしてですね…
彼が寝かされているマットの上に、自分もごろんと横になったのです。
ちょっと想像してみて下さい。ハンディキャップがあって、自力で立ち上がることが出来ない男性がマットの上で横になっています。
なぜかその横に、腹を見せたような姿勢でアメショーも横になっています。
茫然と僕はそれを見つめています。
息子さんは、キラキラした目で自分の隣にいきなり寝そべったアメショーに手を伸ばします。アメショーは全く警戒せずにごろんとなったままです。
アメショーの受難
息子さんはですね、精いっぱい伸ばした手で、時折パタパタ動いているアメショーの尻尾を掴みました。おそらく力のコントロールに難があるのかもしれません。
掴んだ、というよりは握りしめた、といったほうが良いような力強さです。
きしきしと軋む音がしそうなくらい尻尾を強く握りしめました。
さすがにアメショーも気づきます。
僕が同じことをしようものなら、ツメとキバの相乗攻撃をくらって出血まちがいなしの惨事は確定です。でもですね、このアメショー、彼のことをじっと見て我慢してるんです。あるいは我慢しているように見えるんです。
僕は悩みます。しばらく悩みます。
彼が握りしめている尻尾を離してもらうように頼むべきかどうか。
ヘルプサインの表現
アメショーは困った顔で僕を見ています。「まだ大丈夫?」と日本語できいてみたのを覚えています。
不思議なもんですね、とっさの時に僕は日本語で猫に話しかけたのです。
猫はなんと、答えてくれました。或いは答えてくれたように見えました。
ちいさな声で「みゃあ」と。
これも不思議なんですが、「そろそろ無理やで」と彼が言っているように感じました。
僕は息子さんの力強く握りしめた指を、なるべく優しく一本ずつはずして「ごめんねえ、猫の尻尾がつぶれちゃうからさあ」と声を掛けます。彼はコントロールが出来るのか出来ないのかわかりませんが、僕の行動に逆らわず、握りしめた指をひとつずつ外してくれました。
尻尾を強く握られていたアメショーはやっと解放されます。
そして、これも不思議なんですが「どうしてそこなんだ?」というような、息子さんの手がギリギリ届かない距離に再びごろんと横になったのです。
なんだなんだスリル楽しみたいタイプか?
やっぱりわかっていたのでは?
この一連の流れを思い返すとですね、
このアメショー、人間界のことをよくわかっていて、かつ、僕の言葉を理解してたんじゃないのか? という疑惑が残りました。
だってですよ、僕が『彼の尻尾を力強く握りしめて離さない』なんて状況を主体的に作ったりしたら、まちがいなく、本当にまちがいなく、噛みつかれ引っ掻かれ、あちこち出血する未来予想図が確定です。
それをある程度我慢して、抵抗もせず、「猫触りたいんだろ? 俺でよければしばらく我慢してやるぜ」的にじっとしていて、最終的には僕の言葉に応えた(あるいは応えたように見えた)のです。
こんな出来事が年に2回くらいあったりします。
多分僕の思い違いと偶然が産んだ状況だとは思うんですが、猫を飼ってらっしゃる方なら「あるある」だったりするんですかねえ。
ただ、どうしてもこの時のことばかりは、「猫って人の言葉も、人間の生活のことも色々わかってるんだろうなあ」と思わずにはいられなかったのです。
真相はわかりません。勘違い説も濃厚ですし、時々理解できるっていう限定能力説もあります。ちょっと後で人間の言葉で話しかけてみることにしますw