「猫って本当は、人間の言葉なり、人間社会の状況をわかっているんじゃないのか?」
と思った出来事が時々起こるのは、猫を飼われている方なら『あるある』なお話だと思います。何度かこちらでも書かせていただきました。
ただ解せないのがですね、
「じゃあなんで普段は全く言うことを聞かないのだ?」
という点です。
呼んでも来ないし、そこ登っちゃだめだって言っても絶対登るし、もう理解とか意思疎通って言葉の対局にいる振舞いが9割5分以上です。
「ここぞ、という時だけ理解できたりするのかなあ」と思ったりもしましたが、コメントでいただいた内容にはっとしました。
※ ブックマーク・コメントくださる皆さま、いつもありがとうございます。一語一句大切に心に刻んでおります。
『全部理解するとめんどくさいから、普段は聞こえないフリ説』
なるほど!と膝を叩きたくなるような気持ちでした。そうか、それはありがちだな、彼らの性格ならやりかねないぞ。納得です。本当は全部わかっているくせに、通常時は「わからないフリ」をしていたわけです。
思い当たるフシはいくつかあります。この件について妻と少し話をしてみました。彼女は言います。
「人間が体調崩してるときとか、きっとそうよねえ」
実は僕も妻も似たような経験をしていました。もしかしたら、あの時は看病しに来てくれたのかも知れない、そんなお話です。
僕が体調不良のケース
よく独身の方々が「具合が悪い時に奥さんに看病してもらえるんですよね」と結婚のメリットにあげるような状況を想像してください。
ありがたいことなんですが、それが万人に好まれるかどうかは別問題です。なんにせよ個人の好みがあります。
僕の場合で恐縮なんですが、自分が体調不良の際は『傍に誰にもいて欲しくない』タイプです。
妻にそれを言ったところ「何々? 弱みを見せずに生きていきたい中学生みたいなタイプ?」と訊かれて唇を噛みしめたこともありましたが、部分的にそれは正解なのかも知れません。
ですので、体調が悪くなった場合ひとりの部屋に布団を持ちこんで、孤独に寝ているのが好きです。枕元にオレンジジュースとコップさえあれば、後はなんとかなります。先日高熱を出したときもそうでした。
傍らにいるアメショー
ふいに目覚めて誰かの視線を感じます。まだ熱は下がっておらず朦朧としている状況、滲むような視界の中心に彼がいます。そうです。アメショーです。
「なんだよ、心配してんのかよ」と声を掛けますが彼はもちろん返事はしません。香箱座りのままじっと僕を見つめています。
おいおい、心配してるならそう言えよ、と思って手を伸ばそうとします。そこである事に気付きました。絶妙に布団の中から手を伸ばしても届かない位置にいるのです。こっちはまだふらふらだし、起き上がることは出来ません。アメショーはそれ見透かしたかのように、ぴったりと触れられない位置に落ち着いているようです。
僕は諦めます。
「まあ、いいや、とにかく大丈夫だから、いつものソファのところ行ってなよ」なんて小声で言いながら再度眠りにつきます。眠りにおちる間際、彼がスタスタと部屋を出ていくところが見えた気がします。
具合が悪い間、こんなことが断続的につづきました。
生存チェックだったのか?
後になって妻が教えてくれました。
「いつもだったら、大抵同じ場所で寝てるだけなのに、時々ふらっといなくなっちゃうのよ。もしかしてと思ったんだけど、寝てる部屋に行ったりした?」
僕は、何をするわけでもなく彼が布団の横に座っていたことを伝えます。手を伸ばしても触れられない位置でただ僕を見ていた、と伝えると妻は声をあげて笑いました。
「わかったわかった、きっと僕君が病気でどうにかなっちゃうと、エサ買うお金を稼ぐ人がいなくなっちゃうから心配だったんだよ。アメショーなりに看病していたんじゃない?」
実際のところ、看病というよりは生存チェックに近いのかも知れません。ただじっと、ガラス玉のような目で僕のことを観察していただけなのかも知れません。
なんだかよくわからないけど、収入、もしくは僕の体調心配したりした? とアメショーに聞いてみましたが、面倒くさそうにどこかに行ってしまいました。
妻が体調不良のケース
この話、実は妻も似たようなことがあったとのことです。
発熱し、僕は仕事で不在。子供をやっとのことで学校に送り出し、ベットに倒れこみます。スマホのアラームをつけて気を失うように眠りについた彼女は、手元の暖かい感触で目覚めます。
やはりアメショーです。
そしてやはり香箱座りのまま、すぐ傍にいてじっと妻を見つめていたそうです。猫が好きで、猫と触れ合っている間は僕と過ごす時間より笑顔の絶えない彼女は、アメショーに手を伸ばします。
発熱でゆらゆらするような視界の中、猫の背中を撫でます。そしてそのままもう一度眠りにつきます。普段であれば、寝室よりもリビングのソファを好むはずの彼が、なぜか妻のベッドにいたのは間違いがないようです。
僕の時と同様に、ふと目を覚ますタイミングは、ほぼ100%アメショーに見つめられていた、とのことでした。
「きっと心配で見にきてくれたのよ」と妻は言います。
「でもさ、猫に見られたって熱下がらないよね」と答えた僕は、結婚して以来最大級の失望した視線を頂戴しました。
変化に対する単純な確認なのか?
冷静に考えると「普段とは異なる人間の振る舞い」を単にチェックしに来ただけなのかも知れません。
■ 僕のケース
いつもは人がいない部屋に布団が敷いてあり、そこでおじさんが辛そうに寝ている。なんかおもしろそうだから見にいってみよう。
■ 妻のケース
いつもなら、掃除洗濯でバタバタしてる人間が、昼間っから寝室で寝てるぞ、見にいってみよう。
こんな感じでしょうか。単純に動物的好奇心での行動だったという解釈も出来そうですが、妻は明確な反論材料を提供してくれました。
「それはちがうなあ、だってただの寝不足で昼間寝てるときはベッドにきてくれたりしないもん」
やはり人間側の健康状態を理解している説は、根強く残りそうです。
僕が体調不良のケース(つづき)
実は「高熱を出した僕がひとりの部屋で寝ているとき」のお話にはつづきがあります。
ふと目を覚ました瞬間は、百発百中でアメショーが居る、そしてこっちを見ている。
この状況がつづきました。
「僕と目があって、しばらくこちらをじっと見た後部屋を出ていく」という行動も続きました。もちろん毎回、手を伸ばしてもギリギリ届かない場所に座りこんでいます。
さすがに丸2日寝ていた僕も体調を取り戻します。体を動かすことも出来るようになってきました。半身を起こして傍らにいるアメショーに手を伸ばします。
ぎりぎり体を起こさないと届かない場所にいた猫を、無事に撫でることに成功します。アメショーは目を閉じてゴルゴルと喉から音をたて始めます。しばらく撫でつづけると、彼は軽い足取りで部屋を出ていきました。
そしてそれ以降、病室となったその部屋にやって来ることはありませんでした。
やっぱり看病されたのかも知れない話
「よっしゃ、体を起こして俺のことを撫でられるならもう大丈夫かな」と思ったのでしょうか? その後僕に興味を失ったかのように、ぱたりと訪問してこなくなったのもそれで説明がつきそうです。
「猫は色々理解していてここぞ、というタイミングだけ人間社会へ干渉をする」
この可能性はあるとも言えますし、一連の出来事はただの偶然かも知れません。
ただですね、猫と暮らしているときっちりした証明は難しいのですが「あ、今なにか通じてる」と感じる瞬間があるのも事実です。
これが偶然なり錯覚だったりだとしても、彼ら猫という生き物と人間との関わりに、こんな物語を想像できるのも、猫たちと出会えたからだと改めて思います。
そんな記事ですw
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